

想い
穏やか瀬戸内の海に面した光市室積で私は糀屋を営んでいます。
一度に蒸し上げるお米は、約60kg。 一人で抱えるには、ずっしりと重みを感じる量です。
すべで手仕事です。
小さな工房ですので大きな機械はありません。
手仕事という言葉は、ここでは観察の連続を意味します。
蒸し上がりの米粒を手に取り指先で確認し、最適な温度を見極め、種を付ける。
糀室では、糀箱ごとのわずかな温度差を感じ取り、酸素を送り込み、菌糸がどこまで米の芯へ入り込んだかを観察する。
それは、こどもの微かな体調の変化を察知する母親の感覚にも似ています。
機械のように完璧な「同じ」は作れません。けれど、その時、その場所でしか生まれない
最高の一粒のために、日々糀づくりに向き合っています。
誕生のきっかけ
「食べたものでからだはできている」
その言葉の意味を私は身をもって知ることになりました。大きな転機は、三男を妊娠中に体調を崩したことでした。
「家族のために、自分のために、何を選び、どう食べるか」
食を見つめなおす中で出会ったのが、「発酵」の力でした。
微生物が時間をかけて素材を豊かなものへと変えていくように、発酵の力は、私自身の体と心にも、ゆっくりと、けれど確かに深く働きかけてくれました。
今、私は人生の中でいちばん元気です。この経験があったからこそ伝えたい。
昔から、日本人の「食べる」を根底から支えるスターター、それが「糀」です。
生命力あふれる糀の力を一人でも多くの方の食卓へ届けたい。
その思いで糀づくりに向き合っています

「もう一つの顔」
糀屋を営む傍ら、猟期になると、私は猟師として山に入ります。
三人の息子の母として、一人の人間として。 「何を食べるか」以上に、この命がどう巡り、自分の中へ入ってくるのか。その過程をないものとせず、自らの目で「見る」こと。
そこへの興味があったから。
山の地形を読み、風の向きを読み、息を潜めて自然の気配を待つ。
山の厳しさ、豊かさを知る猟師の視点。
そして、畑では土にまみれ、種を蒔き、季節のめぐりと作物が育つ循環を知る。
山や畑で五感を使うその感覚は、そのまま糀づくりの仕事に繋がっています。
目に見えない菌のわずかな動きや、蒸し米が発する熱の変化。
それらを指先で感じ取れるのは、自然という大きな流れの中に身を置き、
感覚を磨き続けているからこそだと思います。
そこにある壮大な遊び心、探求心、何歳になっても持ち続けていたいものです。
